チャム

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2007年の春に北京に行ったとき、
北京最大のチベット寺院、雍和宮で廟会(の予行演習)を見ました。
以下はそのときに撮った写真です。

yonghegong1.jpg

yonghegong2.jpg

yonghegong3.jpg  

この不思議な踊りは、いったい何を意味しているのだろうかと、
なんとなく気になりながらも、積極的に調べることもなく、
思い出の片隅に放置したままになっていたのですが、
先日、上野の森美術館の聖チベット展で、
思いもかけず、この踊りに再会することができました。
今日は、美術館で勉強したことを少しお話したいと思います。

この踊りは「チャム」と呼ばれています。
チャムが、なぜチベットで行われるようになったのか、
という問題に対しては、二つの説があるそうです。

まず一つめの説。

チベットで仏教の教えが根付きはじめたころ、
ある寺院を建てよう、ということになりました。
その寺院を建てるにあたっては、人々はもちろん、
動物たちまでもが、みんな協力を惜しみませんでした。

なかでも、青牛の働きには目覚しいものがありました。
ところが、不幸なことに、寺院が完成するや、
みんなは青牛の懸命な働きを、すっかり忘れてしまったのです。
そのことに憤慨した青牛は、怒りに任せ、完成した寺院を
めがけて突進し、寺院もろとも、滅んでしまいました。

数年後、その青牛はチベットのある王様に生まれ変わりました。
その王様は、仏教を憎みました。青牛の恨みは、輪廻を経ても
なお消えていなかったのです。王様は、寺院を破壊し、
仏教の経典を焼き尽くしました。

このままでは仏教が滅んでしまう...
どうにかしなくては...と、
ある仏教僧が立ち上がりました。
仏教僧は、王様に怪しまれないために、チベットに仏教が
広まる以前に信仰されていたボン教の僧の姿に扮し、
王様主催のうたげにもぐりこみます。
そして、不思議な踊りを踊って、王様を魅了し、
王様が油断している隙に、そでの下に隠していた
弓矢を取り出し、王様を射殺しました。

仏教を憎んでいた王様が亡くなり、チベットには
ようやく仏教を自由に信仰できる時代が到来し、
仏教の教えはますます盛んになっていきました。
そして、仏教の興隆のきっかけを作ったこの出来事において、
大活躍した不思議な踊りが、チャムとして伝えられたのです。

二つ目の説。

仏教が信仰を集める以前、チベットではボン教という
土着の信仰が行われていました。そこで、インドから仏教の
布教にやってきた高僧が、彼らに対し、どうして布教を
行ったらよいだろうか、と考えました。
そこで、彼は思いついたのです。たんに、仏教の教えを説くだけでは
みんなの注目を集めることはできない。ならば、チベットの
土着文化やボン教の要素を取り入れながら、人々を仏教信仰へ
といざなう舞踏劇をやってみればよいのではないか、と。
このとき編み出された踊りこそが、チャムとして現代に伝わる
踊りだったのです。

以上で私のつたない説明は終わりにします。
かなり不正確な部分もあると思いますが、
あくまで私の理解の範囲ということで御了解ください。
詳しくは、聖チベット展の図録をご覧になってください。

       HIROSE

 

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このページは、b-chineseが2010年1月13日 20:48に書いたブログ記事です。

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